基幹講座
動物生殖システム分野
-
放射線生物学・動物生理学
メダカ、酸化ストレス、超音波、複雑系
「健康に生きる」をメダカに教えてもらう
原初の細胞が生まれた時には分子の状態の酸素は大気に存在していませんでした。だから、細胞は酸化していない還元状態が基本です。光合成の副産物として植物細胞が大気に放出した酸素分子は、原初の細胞にとっておそろしい毒でした。しかし、毒ということは化学反応性が高い訳であり、やがて酸素分子を上手に処理してエネルギーを取り出す好気性バクテリアが現れました。それら好気性バクテリアが取り込まれて細胞内共生したのがミトコンドリアの始まりだと考えられています。現在の私達の細胞は、コントロールされた酸化によってエネルギーを得て生きています。つまり、酸化と還元の絶妙なバランスの上に生きています。このバランスが崩れると、細胞は生理機能を発揮できなくなり、ひいては動物個体の健康状態に悪影響がもたらされます。
本研究分野では主にメダカをモデルとして、弱いけれど慢性的な酸化ストレスの負荷が動物個体に与える生理的な影響とそれを軽減する方法を模索しています。
【研究テーマ】
本研究分野ではメダカをモデルとして低線量・低線量率放射線の慢性的被ばくの生物影響、ゼブラフィッシュをモデルとして放射線によって損傷した網膜組織の再生プロセス、ホウレンソウをモデルとして弱い超音波の生物影響の研究を行っています。また、日本全国から収集した80系統の自然メダカ集団のコレクションを維持しており、メダカの遺伝的多様性を使って種分化のメカニズムを探る研究を行っています。
動物も植物も個体レベルではその構造はけっして均一ではなく様々に分化した細胞が複合したシステムです。その挙動を調べるためには、構造の情報を得るための組織学的解析、そしてシステムのダイナミクスを理解するためのトランスクリプトーム解析が有効と考えています。そして、実験に応じて柔軟に実験材料・実験手法を選び、実験セットを工夫しながら知恵を絞って手作りで研究を進めることをモットーとしています。
現在、進行中の研究テーマは以下です。
(1)低線量・低線量率放射線の慢性的被ばくがメダカに与える酸化ストレス影響の解明
2011年の福島第一原発事故による放射能汚染を受けて、低線量・低線量率の放射線を長期間にわたって被ばくした場合に我々ヒトおよび生態系が受ける健康影響の解明が急がれています。この問題は放射線の生物影響の研究者として不可避の責務であると考えています。第二次世界大戦での原子爆弾の被爆者を対象とした大規模なコホート研究により100 mSv を下回る低線量の放射線の被ばくは将来的ながん死の可能性を有意には上昇させないことが認識されています。線量率効果により、100 mSv 以下の放射線被ばくではゲノムの突然変異は起こらず(起きても修復されるから)重要な生物影響は起こらないものと考えられ、低線量・低線量率の放射線の慢性被ばくの生物影響の研究が後れていました。
私達の研究分野ではメダカ、ゼブラフィッシュなどの小型魚類をモデルにして、低線量・低線量率放射線の慢性的被ばくが動物に誘発する生理的な影響を、組織学的な解析とトランスクリプトーム解析によって調査しています。
(2)慢性的酸化ストレスが生物に与える影響の解明
動物個体の健康に影響を与える最も強力な環境要因は食です。私達ヒトを含めて動物が食してきた食べ物は捕獲した直後の生きた動植物でした。特に動物は、死亡するとその身体が急速に空気酸化されます。本来は酸化していない動植物を食べていた私達が、死んで時間が経過し酸化した動植物(保存食)を食べることは、カラダの酸化-還元のバランスを酸化側に傾かせ、酸化ストレスを慢性的に経口摂取しているのと同じコトになります。
低線量・低線量率放射線の慢性的被ばくは、慢性的に活性酸素種が産生されることから同様に酸化ストレスの慢性的負荷と解釈できます。酸化していない新鮮な食べ物を摂取することによってカラダの酸化-還元のバランスを改善すれば、低線量・低線量率放射線の慢性的被ばくの影響を軽減できると考え、この仮説を検証するための研究を進めています。
(3)弱い超音波処理が生物に与える影響の解明
野菜、果物、肉類、魚介類など食材を洗浄する超音波洗浄機を開発しています(日本国特許第6095057号)。ほうれん草、小松菜などの葉物野菜を超音波洗浄すると吸水して葉が大きく開き、エチレンシグナルが抑制されて気孔が閉じたままとなりシャキシャキのみずみずしい状態が長く持続することを見つけました(Oda et al., 2021)。これまで、超音波処理は細胞や組織を破砕してタンパク質を回収する方法として生命科学の世界で長く使われてきましたが、種の発芽や骨再生の活性化など新規で未知な超音波の生物影響が続々報告され始めています。
(4)メダカの種内多様性の形成機構の解明
日本列島の日本海側に生息するメダカ(キタノメダカ=北日本集団)と太平洋側に生息するメダカ(ミナミメダカ=南日本集団)が別種として魚類図鑑に記載されていることが示すように、メダカは種内にとても大きな遺伝的多様性を持っています。メダカが大陸から日本列島に来たのは400万年以上前と考えられており、私達日本人の大先輩です。小さくてあまり美味でもないので、日本人の生活のすぐそばにいましたがメダカが水産資源として重要視されることはありませんでした。そのおかげで、長い歴史の間に自然に形成され生き残ってきたメダカ集団が人為的な擾乱を大きく加えられることなく日本全国に今もほぼそのまま生息しています。当研究分野では35年前に日本全国から収集した自然メダカ集団80系統を維持しています。ちょっとずつゲノムが異なる80のメダカゲノムの生きたコレクションであり、様々に特徴的な形質をみせています。このメダカの図書館を紐解いて、エピジェネティクスが種分化に寄与した証拠を探しています。