生命科学研究科 生命科学研究科 ― 東京大学大学院新領域創成科学研究科

平成18年度プレスクール論文賞論文

優秀賞: 岡部 友吾

課題: DNAやタンパクとは異なり、糖鎖には不均一性(microheterogenity)がある。この生物学的意義について自由に考察せよ。(医薬デザイン工学分野)

: 生物の進化と絡め、糖鎖がどのような進化をしたかを考察することにより、現在の糖鎖の不均一性を考察したレポートである。ウイルスや病原菌などの選択圧による「病原体仮説」、その対極をなす「中立進化仮説」のそれぞれの矛盾点を指摘し、独自の「組織分化仮説」を提唱している。多細胞生物の自己組織化ににおける自己・非自己の認識プロセス、さらには免疫系の進化も考察に加え、理路整然とまとめられている。また、糖鎖生物学の分野でもいまだに定説のないこの問題に対し、独自の視点から考察している点でも、高く評価できる。 (山本一夫教授)

(受賞レポート)

 近年、糖鎖はDNA・タンパク質に次ぐ第三の生命鎖として注目され、糖鎖に隠された情報を解き明そうとする研究が盛んになってきている。  この糖鎖の意味を考える上で重要な現象に不均一性がある。これは特定の細胞の特定のタンパク質・脂質に付いている糖鎖の構造及び、修飾部位に一定範囲の多様性が存在することを意味する。これはDNAやタンパク質がほぼ100%の正確さで複製、合成されるのとは対照的である。この不思議な現象の生物学的意義は一体何なのであろうか。  まず、特定の糖鎖構造に高い特異性を持つ病原体の一律な感染を細胞表面の糖鎖の多様性が防ぐという「病原体仮説」が考えられる。確かに糖鎖は細菌や毒素、ウイルスの受容体になる事が知られている。だが、この事が糖鎖不均一性を生み出す原動力になっているという証拠はあまり無い。例えば、ヒトに感染し眠り病を引き起こす事で知られるトリパノソーマは、多種類の変異表面糖タンパク質を連続的に発現し宿主の免疫反応から逃れているという。これはこの病原虫が、糖鎖修飾パターンを変化させ、宿主の免疫系という“病原体”の攻撃をかわしていると解釈する事もできる。しかし、これはヒトの免疫系が強い自然選択圧として働いた結果生み出された特殊なケースと考えるのが自然であろう。  また、不均一性を中立進化により説明するのはどうであろうか。実際、ヒトのABO式血液型は赤血球表面の糖鎖構造の違いによって生じるが、この糖鎖には明確な機能が確認されていない。確かに糖鎖が明確な機能を持たない場合、中立進化が起こった事は十分に考えられる。また、糖鎖が機能を持つ場合でも、糖鎖の機能を有する部分は保存され、機能を持たない部分は中立に進化した事で糖鎖に揺らぎが生じたと説明することも出来る。例えば、糖鎖は水溶性溶媒のpH変化やプロテアーゼから細胞表面を保護するが、多くの場合この機能を持たせているのは糖鎖のコア構造や糖鎖全体であるため末端構造の多様性が許容されている。このようにこの「中立進化仮説」は一見矛盾無く糖鎖不均一性を説明できるように思われる。  しかし、細胞の物理的保護以外にも糖鎖は多くの機能を持つ。レクチンは特定の糖鎖と特異的に相互作用し、細胞接着・免疫などに関わる。また、小胞輸送系やプロテアソーム系で糖鎖が重要なシグナルであることがわかってきた。これらの機能において末端構造が重要でないとは考えにくい。さらに、未知のものも含めて多くの機能の存在を考えると、それらが糖鎖に対し様々な部位に、様々な大きさの選択圧をかけていると考えられる。多くの糖転移酵素を介して間接的に遺伝子にコードされている糖鎖は、たとえ一つの機能に着目したとしても糖鎖にかかる自然選択圧を定量するのは困難である。まして全ての機能を考慮に入れてそれを行い、糖鎖不均一性を生み出しているかもしれない一種の平衡選択を検出する事は不可能であろう。これ以上、糖鎖不均一性の意義を追究するのは無理なのであろうか。  そこで、私は多くの糖鎖機能の中で、不均一性に特に強く影響を与えているものはないだろうかと考えた。ヒトのアスパラギン結合型糖鎖にはやはり不均一性が存在するのだが、この不均一性をマクロの存在比で見ると驚くほど個体差がないという報告が近年されている。つまり、糖鎖は個々の分子構造としては多様であるが、個々の構造の存在比は同じ時期の同じ部位であれば、同一になるように積極的に制御されているのだ。また、糖鎖生合成経路の一箇所に欠損を持つ様々な変異体から得た単一細胞の多くが培養細胞としては生存できるのに、それらの変異を持つノックアウトマウスの胚発生は途中で停止する事が知られている。これは、糖鎖の細かな部分の違いは細胞レベルよりもむしろ個体レベルで重要である事を示唆している。  これらの事実から糖鎖不均一性の意義を次のように説明できる。すなわち、受精卵から分裂により多細胞化し様々な組織を作り上げていく発生過程で、時期特異的かつ組織特異的な糖鎖構成を保ち、それらを組織間で認識しあうことで正常な組織が形成されるのだ。この「組織分化仮説」は細胞レベルの糖鎖不均一性も上手く説明できる。もし異なる組織の細胞が全く異なる糖鎖構成を持つならば、細胞は自分とかけ離れた糖鎖構成を持つ細胞を非自己と認識し、同じ個体中の他の組織の細胞を攻撃してしまうだろう。だから、ある程度糖鎖構成をオーバーラップさせる事で細胞間の個体レベルでの自己同一性を確認し、同時に組織特異的な糖鎖構成の違いの程度で細胞の組織レベルでの相対的位置を認識するのだ。  糖鎖の不均一性を生み出している構造と修飾部位の多様性のうち、構造の多様性はこのように積極的に維持されていると考えられる。一方、タンパクに対する糖鎖の修飾部位の揺らぎは、細胞同士が柔軟な相互作用をし、より多様な組織分化をするのに有利であった結果進化したのだろう。  このように考えてみると、糖鎖不均一性の問題は単細胞生物と多細胞生物を同一平面上で論じられない事に気づく。DNAやタンパク質は全生物共通であり、大腸菌や酵母で理解した事はほとんどの全ての生物にそのまま適用できた。しかし、糖鎖ではそうはいかない。糖鎖研究の難しさの大きな原因がここにある。  しかし、不均一性の意義の生物による違いも、進化的視点で考えると次のように結びつけられる。単細胞真核生物の中で動物へと進化したものは、原核生物の細胞壁の代わりに細胞表面に糖鎖を発達させることで防御壁とし、柔軟な体を手に入れた。その変形自在な体が細胞同士の接着を促進した。さらに、「病原体仮説」や「中立進化仮説」のような力が糖鎖を多様化させる方向に働いた。そして、それによって生じた糖鎖不均一性が多細胞化に伴う組織分化を上手い具合に誘導したのだ。  また、植物は細胞壁を防御壁とする他、細胞壁の糖鎖を遊離させ、それを分化や発生などに重要なシグナル分子として使うことが知られている。この事は、進化的に初期の植物、例えば単細胞藻類などの糖鎖が、進化の過程で動物の場合と同様、生体防御などから組織分化といった他の機能にも利用されるようになった事を示唆している。 このように単細胞生物という進化の早い段階で獲得された不均一性を有する糖鎖は、多細胞化という進化の階段を登る過程で、細胞間の分化を生み出すといった他機能に転用されるようになったのだ。

 

 

優秀賞: 安藤 俊哉

課題: 性能が向上して自己修復、複製を行うことが可能になったロボットは生物か(動物生殖システム分野)

: 「自己修復、複製を行うことが可能になったロボット」が教科書的な生物の定義に合致するか否かの議論に止まらず、「生き物」とはいかなる存在か、「生きている」とはどういう現象か、と言う問いに、固定観念に囚われることなく自由に思考してもらうことを期待して出題した。そのような意図に応えてくれた論文が複数あった中で、安藤君の論文はその高い独創性において群をぬいていた。「高性能ロボット」という「生き物」の、生物としての特殊性、そのような存在が構築する生態系、またそのような存在が生物として「進化」できるかどうか、と言った興味深いテーマに関して、極めて独創的な議論を論理的に展開している。「生物」とはいかなる存在なのか、と言う哲学的でもある問いに対して深く考察した論文であり、読む者にも深く考えさせる論文である。(尾田正二講師)

(受賞レポート)

 私が思うに生物とは「個」の単位を維持する動的な機構をその内部に持ち、その機構の一端として自らのコピーを作り出す能力を持つ有機的な存在が生物である。この考えを元にすると自己修復、複製を行うロボットは、修復という自己の維持機構を内蔵し、また自らのコピーを作り出す能力も持っているのであとは、その機構自体が有機的であれば生物だといえる。  具体的に性能が向上したロボットがどのようなものかを考えてみる。一番単純に考えて思いつくのが、現在、ホンダで開発されているアシモのようなロボットが、その作動原理を維持したまま、つまりコンピュータが計算した動作が電気信号により体の各部分に伝わり、モーターで体を動かす仕組みを維持したままのロボットを想定した場合である。この場合に自己修復するということを思い浮かべてみると、体の一部が損傷を受けたときにその損傷を認識し、正常に動作するようにもとの構造と同様に修復するための部品を集め、場合によってはそれを加工し修理することを意味することが予想される。また、自己複製するというのはひたすら自己のコピーを作るための材料を集めて加工し、自らのコピーを作成することだということだと推測される。このようなコンピュータを中心とした自己修復、自己複製の過程は有機的かつ動的であり、このロボットは生物だといえる。そして、その機構は当然ながら現存する生物のメカニズムを思い起こさせる。集めた材料を加工し修理に用いるというのは、人だったら食物から得た栄養から損傷部位を埋めるのに適した物質を合成し、その部分を構成する細胞を新生させるということに当たるし、自己複製の過程もやはり根本的には摂取した栄養をもとに次世代の細胞を作るという意味では近い。  しかし、現存の生物と大きく異なる点がある。それはすべての動的な反応をすべて中枢であるコンピュータが処理するという点である。修復のためにもわざわざ動作を必要とするのでここで想定したロボットは生物に比べて効率が悪いといえる。ただ、今回ここで想定したロボットが複数個体存在する生態系を想像してみると大変面白いことになる。個々の個体を構成する材質は基本的に一緒であり、その材質及びエネルギー源を求めて基本的に行動するわけであるから、他個体の材料を奪うという戦略が生まれてくる。当然、それに対して奪われないようにする戦略、粗悪な最低限の材質を使う戦略、相手のコンピュータを奪う戦略など様々な戦略のうちで、より有利な戦略をとった個体が生き残り、それと同時に次々と新しい戦略が生まれてくる。さらに、自己複製機構がその戦略および、自己の材質を反映するとなれば、それこそ多様な形質を備えた個体が生まれてくると推測される。コンピュータに刻まれたデータが遺伝子として働いていることになる。  さて、このようなロボットが果たして現実問題として地球上に繁栄することは可能であろうか。私が思うにそれはかなり困難である。その理由はこのロボット自体が生物の最小単位だからである。生物が地球上で繁栄し続けるためには、より高度に有機化された機能をもつ生物が現れることが重要であると同時に、その生物種が絶滅したときにそれに取って代わって繁栄する候補が存在することが必須である。例えば、恐竜が絶滅したときには、次に繁栄しうる候補として哺乳類の生物が存在しており、その哺乳類が絶滅した場合にも、その代わりに繁栄し得る候補となる生物が存在し、そうやって遡っていくとより単純な単細胞生物に行き着くことができる。しかし、このロボットの場合、この個体が生物の最小単位であるので、もしこの生物が絶滅したときに、新たに同じコンピュータを動作原理とした生物が自然に生じてくることはない。「自然」の中に、コンピュータを再構築し新たなロボットを作るヒトの存在を含めれば新たに生じる可能性が考えられるがヒトも絶滅してしまえば、新たに同じ動作原理のロボットが現れてくることはなくなってしまう。新たな「生物」を作り上げることができる別の「生物」が必要である。その点で、このロボットは従属的もしくは二次的な生物であるといえる。  生物種のレベルで考えてみると、このロボットは種のレベルでヒトに寄生している生物であるといえる。もし、この生物がヒトとの相互関係の末に、ヒトに利益を与えるように進化すれば共生関係を築くことも可能になるだろう。しかし、必ずしもそうなるだけではなく、極端な話、映画マトリックスのように、ヒトを利用してエネルギー生産するようなロボットが進化する可能性も孕んでいる。この地球上に捕食、寄生、競争、住み分け、共生といった現象が生物間で多様に見られることを考慮すると、このロボットと、ヒトを含めた現存の生物種との関係もまた多様なものになるだろう。おそらく、自分が生きている間にはこのような現象を観察することはないであろうし、そもそも未来永劫そのようなロボットが開発されることしれない。けれども、新たに創造される生物というものは大変興味深し、現存の生物を考える上でも多くの知識を与えてくれるだろう。

 

審査委員: 久恒