生命科学研究科 生命科学研究科 ― 東京大学大学院新領域創成科学研究科

平成19年度プレスクール論文賞論文

優秀賞: 名古谷 茂

課題: 今後ウイルスはどのような進化をしていくと考えられるか、既存の知識にとらわれず自由に論ぜよ(資源生物創成学分野 宇垣教授、鈴木准教授)

評: 名古谷君は、ウイルスとは分類学上全く異なる生物である寄生虫に着目し、その生存戦略にはウイルスの生存戦略と相通じるものがあると考えた。そして、寄生虫で多くの例が知られている「宿主動物の行動をコントロールする」という生存戦略がウイルスでも可能であろうと考えた点が面白く、プレスクール論文賞候補として推薦する。では、ウイルスにおいては宿主の行動をどのように変化させると生存に有利なのか、という点をもっとつきつめて考えるとさらに興味深い論文になったであろう。(宇垣)

(受賞レポート)

 ウイルスとは、『外殻はタンパク質からなり、内部に遺伝子のDNAまたはRNAを含んでおり、単独では生命活動を営めず、生きた細胞に寄生して生活して増殖する。一般的に生物か無生物か判断が難しいもの』と考えられている。これからのウイルスの進化を考察するにあたり、同じように生物に寄生することで成り立っている寄生虫と比較することにしてみた。内部寄生虫と分類される体内に寄生する寄生虫は、宿主の腸や肝臓といった器官単位に寄生し、ウイルスはリンパ球などの細胞単位に寄生する。ウイルスはよりミクロな単位の寄生であり、寄生虫はよりマクロな単位の寄生である。両者は多くの共通点を持っている。まず、共に極めて多様であり、ウイルスは細菌から植物や動物まで感染し、寄生虫も様々な植物や動物を宿主とする。また、両者が宿主の体内や細胞へ侵入するための戦略、免疫の防御を回避する洗練された工夫は、宿主特異的に極めて専門的な進化を遂げている。そして、寄生虫は環境に適応するため特異的な形態をしており、宿主に依存し使う必要のない消化器官、感覚器官、運動器官は大幅に退化し、生殖器官だけになってしまうような例もある。ウイルスも前述したとおり、宿主に多くを依存しておりタンパク質の殻と小さな核酸しか持っていない。寄生虫と比べるとウイルスは細胞を基本単位とせず、サイズも大きく異なるが、抽象的な視点からでは戦略的に似たような進化をしてきたと考えられる。既知の寄生虫が取る進化の戦略から、ウイルスの進化にも通用する方向性は見えてこないだろうか。運動器官が退化してしまった寄生虫にとって、宿主間の移動は大きな問題である。食物連鎖を利用し、中間宿主を経てその都度宿主に合わせ成長し姿を変える。目的の最終宿主に到達し、ようやく繁殖行動が行えるものが多い。つまり、寄生虫は宿主の生態に合わせて進化をしてきた。しかし、宿主が次の宿主に捕食されるのを待つような、運に任せる方法では確実性に乏しく、成虫になれる確率は極めて低い。そのため、このような種は非常に多くの卵を産む。決して効率が良いとはいえないだろう。効率良く多くの子孫を残すために、宿主の生態に適応するのではなく、宿主の生態に変化を及ぼす巧みな進化を遂げた寄生虫もいる。槍形吸虫の仲間は、中間宿主であるアリの体内に入ると、食道下神経節に移行して被嚢する。やがてアリは異常な行動をとり、夕方気温が下がると感染アリは草の茎をのぼり、葉の先端を大顎でしっかり噛んで身体を固定し、最終宿主である羊に草ごと食べられるのを待つそうだ。このように、宿主に変化を与える寄生虫は多く発見されている。カニの寄生虫であるフクロムシはさらに巧妙であり、寄生すると養分を吸収するだけではなく、生殖機能を破壊して宿主の卵ではなくフクロムシが産んだ卵を守らせる。宿主が雄の場合には、雌化させフクロムシの卵を守らせる。そして、宿主を惑わし産卵行動までとらせるらしい。とても理にかなっており、恐るべきしたたかな戦略である。では、ウイルスではどうだろうか。このような戦略をとる種はまだ発見されていないが、ウイルスも感染した細胞レベルでは、細胞を巧みに惑わし自己増殖に利用している。一部の寄生虫と同様に、自らの増殖や次の感染が有利に働くように宿主の行動を変化させれば、より繁栄が望めるのではないだろうか。病理的な作用により行動に変化が起こる例は多くあるが、本能的な行動について変化を与えるウイルスが存在すれば大変興味深い。考えられる進化の可能性は大きく広がるのではないだろうか。そのようなことが示唆されるウイルスはすでに発見されている。セイヨウミツバチの攻撃的な働き蜂の脳から同定されたKakugoウイルスというものがある。外敵に対して攻撃を行う働き蜂と、逃避する働き蜂の脳内での遺伝子発現パターンの比較解析を行なったところ、攻撃を行う働き蜂には、脳にウイルスが感染していたことが判明し、Kakugoウイルスと名付けられている。このウイルスが働き蜂の攻撃性に貢献していると考えられている。巣に貯えられた蜜と育てられている幼虫を外敵から守るためには、働き蜂の攻撃性は必要不可欠である。ただ、外敵との戦いで宿主が命を落とす可能性は高いであろう。しかし、働き蜂は元々子孫を残すことができず、働き蜂が捨て身で巣を守ることにより、遺伝的に75%相同な女王蜂が子孫を残すことにつながる。セイヨウミツバチは社会性昆虫であり、働き蜂は様々な役割を担い分業している。巣を守る働き蜂はその中の一つである。Kakugoウイルスが社会性に合わせた進化をしたのか、それとも社会性が構築される上でもある程度必要とされているのか不明だが、とにかくセイヨウミツバチの社会性に寄与していると推測でき興味深い。またKakugoウイルスの立場では、やはり捨て身の攻撃で宿主たちを全滅から避けることにより、Kakugoウイルス自身の生存維持に利用していると考えることもできる。この攻撃行動により、働き蜂とウイルスは共に利他的ではあるが、結果として共に子孫を多く残すことに繋がると考えられる。感染した宿主たちに、生存競争を有利に進めるような働きや行動を生じさせることにより、ウイルスと宿主が共存共栄する進化の結果であるのかもしれない。もし、このようなウイルスが、自らを宿主の次の世代へ感染させる行動を宿主に起こさせる遺伝子をコードすれば、さらに繁栄するであろう。社会性昆虫のウイルスならば、幼虫の世話をする際の蜜にウイルスを混ぜさせるなど、様々な方法が考えられそうだ。Kakugoウイルスが実際にセイヨウミツバチの攻撃行動に影響を与えているとするならば、働き蜂に限らず他の生物にも、その行動に影響を与えるウイルスがいても不思議ではない。このようなウイルスが宿主の生殖系列にまで影響を与えるのならば、宿主の進化についても影響を与えうるかもしれない。現在研究が進められているウイルスは病原性のものばかりであって、非病原性のウイルスについての知見や情報の蓄積は少ない。またRNAウイルスの進化は、真核生物と比べ100万倍早いとも言われている。ウイルスが誕生してから長い年月が経過している。このようなウイルスの進化は、すでに起こっているのかも知れない。それどころか、我々の想像を遥かに上回る進化を遂げたウイルスがいてもおかしくないのである。

 

審査委員: 馳澤、河村、東原、小嶋、鈴木、尾田