生命科学研究科 生命科学研究科 ― 東京大学大学院新領域創成科学研究科

平成22年度プレスクール論文賞論文

特別賞: 池畑 賢一

課題:「私たち人間が微生物を利用している例を挙げ、現在の課題とその解決方法について議論せよ。」(生命応答システム分野 大矢禎一教授)

:  人間が微生物を利用している例として、バイオリメディエーションをあげ、現在の課題とその解決方法について明快に記している。特に、微生物を利用する際の微生物間の相互作用と共生の重要性を指摘し、問題を解決する方法について具体的に述べている。(大矢禎一教授)

(受賞レポート)

 18世紀から19世紀にかけての産業革命以降、人類は電気や石油を利用した重化学工業を発達させてきた。これに伴い、人類は生活の利便性の向上のため、それまで自然界で存在しなかったさまざまな物質を生み出してきた。新たに生み出された物質の例としては、洗浄剤などとして使用されたトリクロロエチレンやテトラクロロエチレン、絶縁体などに使用されていたポリ塩化ビフィニル、農薬として使用されていたDDT、BHCなどがある。現在では、これらの物質は発がん性を示すことが判明したため、製造が中止されている。しかし、これらの物質は難分解性を示し、自然環境ではなかなか分解されない。したがって、すでに使用された物質は長いあいだ土壌中に残留するため、これらの物質による土壌汚染が問題視されている。  これらの難分解性物質を分解し、環境を浄化する手法の一つにバイオレメディエーションがある。バイオレメディエーションは、汚染された土壌や地下水を微生物の力を利用して修復する技術である。バイオレメディエーションはその方法により2種類に分けられる。栄養物質や酸素などを加えて修復場所に生息している微生物を活性化させて環境浄化を行うバイオスティミュレーションと、汚染物質を分解することができる微生物が存在しない土壌に外部で培養した微生物を導入することによる環境修復をさすバイオオーグメンテーションである。バイオスティミュレーションの例としては、1989年にアラスカで起きたタンカー事故が有名である。この事故により石油の流出が発生したが、この海域では石油を分解できる微生物が存在していたので、問題解決のためにバイオスティミュレーションの手法が使われた。石油を分解する微生物の栄養剤をこの海域に散布した結果、二~三週間後には石油の分解がはっきりと見られた。バイオオーグメンテーションの例としては、トリクロロエチレンを分解できるトルエン資化性菌KT-1などを用いて行われた実験があげられる。この実験では、環境基準である0.03 mg/lの濃度を大幅に超えた0.108 mg/lの濃度のトリクロロエチレンを300時間後には環境基準以下までに下げるという結果が得られた。このように、バイオレメディエーションを用いれば、土壌に存在する分解微生物の存在の有無にかかわらず、汚染物質の除去が可能になり、正常な環境と変わらない状態に浄化することが可能になっている。  しかし、バイオレメディエーションには未だ多くの課題が残されている。確かに、微生物を外部から投入すれば前述の例のようにどのような土壌においてもバイオレメディエーションを行うことができると考えられる。しかし、実際に汚染された土壌に汚染物質を分解する微生物を投入した場合、汚染物質の分解が予想どおりに行われず、分解がほとんど行われないということも報告されている。そのため、分解微生物を投入し、その分解能力をしっかりと発揮させることが重要である。  そもそも、微生物が分解機能をしっかりと発揮するためには、その土地にあった微生物を投入しなければ意味がない。もともと微生物は土壌中に数多く存在し、複雑に相互作用することによって互いに共存し、生きていると考えられる。特に嫌気性微生物は相互作用が顕著で、ある物質を分解するために数種類の微生物が働く必要がある。ところが、微生物を投入するバイオオーグメンテーションでは、もともとその土壌に汚染物質を分解する微生物が存在しないため、その土壌に存在しない微生物を投入しなければならない。その結果、投入した微生物がその土壌の微生物と効率よく相互作用できず、共存できない場合が多く、投入した微生物の分解効率が低下し、さらには微生物そのものが死滅してしまう。そして、微生物による汚染物質の分解が効率よくなされないのである。この課題を解決するためには、ある微生物集団と共存することのでき、汚染物質を分解することのできる微生物はどれなのかを同定することが必要であろう。  ある微生物集団と共存することのでき、汚染物質を分解することのできる微生物を同定するためには、微生物集団に含まれる微生物の種類を調べることと、投入した微生物の生死を投入後に詳しく調べる必要がある。土壌中の微生物を調べる方法としては、現時点でマイクロアレイやFISHを用いた網羅的な解析、あるいはメタゲノム解析などがあげられる。さらに、このような網羅的な解析を行ったデータを蓄積し、データベースを作成することができれば汚染された土壌の微生物集団を解析することにより、そこに必要な微生物を同定することが可能になり、バイオレメディエーションの効率が向上すると考えられる。  以上のように、バイオレメディエーションで求められていることは、土壌に存在する微生物と投入した微生物との共存であり、共存可能な微生物を投入するために、微生物集団との共存関係をしめす微生物のデータベースの作成が重要であると考えられる。

<参考文献> 1.もっと知りたい!微生物の力 著者 下村 徹  2007年8月25日発行 2.最新 環境浄化のための微生物学   編者 稲盛 悠平 2008年12月10日発行 3.RITE NOW 39号 2001年 4.国立環境研究所 環境技術ライブラリ  URL:http://ecotech.nies.go.jp/library/description/detail.php?id=53 5.微生物増殖学の現在・未来  編・監修者 福井 作蔵、秦野琢之 2008年10月30日

 

 

特別賞: 石原 奈穂子

課題:「生命現象を進化的に見る:睡眠について」(植物生存システム分野 河野重行教授)

:  様々な分野で新鮮な発想ということが求められています。植物を研究するものにとって、脳科学はすべてが新鮮に見え、何が本当に新鮮な発想なのかよくわからないところがあります。ただ、石原さんの、睡眠はどうやって進化したのか? 進化はなぜ脳に睡眠を要求するのか? という発想は、新鮮というだけでなく、睡眠の科学に新たな研究の視点を与えるのではないかと思います。進化論の発想でいえば、睡眠が進化したのは、それが生存に有利だったからに違いないことになります。生存に有利な睡眠とは何か? 石原さんならずとも興味津々です。(河野重行教授)

(受賞レポート)

 生命現象とは、“生物が生物として存在し得るゆえんの本源的属性として、栄養摂取・感覚・運動・生長・増殖のような生活現象から観察されうるあらゆる事実”(1)のことである。今回は視覚や嗅覚や捕食など様々な生命現象の中から、自分が最も好きな睡眠を題目に挙げた。睡眠は生活のリズムとしてヒトをはじめとした多様な種に見られる行動である。現在、睡眠といえばレム睡眠とノンレム睡眠から成っているというのが広く知られているが、“これは鳥類・哺乳類に限ったことで、生物全体から見れば集団・固体・器官・細胞レベルで毎日規則的に活動を休止ないし低下させている状態をまとめて睡眠と呼ぶ”(2)場合もある。この広義の睡眠には“植物で見られる就眠行動や昆虫の休息行動も含まれ、見た目が動かず眠っているような行動睡眠と、脳が眠りの状態にある脳波睡眠に大きく分けられる”(2)。脳波睡眠は文字通り発達した脳から生まれるものであり、それが上で出たレム睡眠・ノンレム睡眠に当たる。行動睡眠にしても脳波睡眠にしても目的は体や脳を休めることで、眠ることでリフレッシュした気分で次の日を迎えることができる。  では睡眠は系統的にどのように進化していったのだろうか?まず「睡眠」を行動睡眠まで含めるか、脳波睡眠のみにするか決めることにした。行動睡眠は見た目の判断が人によって様々であるため、もし酵母や大腸菌が分裂のために一定時間その場に留まっている瞬間を休息状態とするなら、両者とも眠る生き物になる。こうなると生物系統をどこまでも遡れることになってしまう。逆に脳波睡眠だけに注目すると、レム睡眠・ノンレム睡眠がはっきりわかる哺乳類と鳥類しか挙げることができず、睡眠を定義できる範囲が狭くなってしまう。今回は系統的に考えられる程度の範囲について考えたかったので、行動睡眠・脳波睡眠で区切らず、脳をもち、睡眠様行動をとる生物の区切りで考えることにした。脳をもつ魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類の他に、脳神経節をもつ昆虫類が対象になる。中でも昆虫類のような“無脊椎動物は、脳波が存在しても休息期・活動期に対応した変化が見られない”(3)といわれるため、睡眠をとっているといえるかどうか研究者によって意見は分かれる。キイロショウジョウバエの実験では“短時間睡眠変異体などでじっとしている不動状態を睡眠類似行動として扱っているように、脳波ではなく動きで活動状態か眠っている状態かを見ている”(4)。“魚類・両生類も同様で、泳ぎを止めたり動きが鈍くなったりする休息状態を睡眠類似行動としている。爬虫類からは脳波が関係し、下等爬虫類はノンレム睡眠のみ、高等爬虫類はノンレム睡眠と短いレム睡眠をもち、この期間を睡眠としている”(5)。脳に注目すると、魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類の順に脳の大脳部分は大きく複雑になる。これと上に挙げた、行動睡眠~ノンレム睡眠の発現、レム睡眠の発現と増加の流れと合わせると、睡眠の進化と脳の進化は密接に関係しているといえる。睡眠は、脳、特に大脳の発達と並行して発現し、複雑になっていく脳をさらに休めるため、レム睡眠のような新しい睡眠が生まれたと考えられる。  脳の複雑化が睡眠の進化にあたるなら、これから睡眠はどのように変化していくのか? もっとも大脳皮質が発達し、複雑になっているヒトについて考えた。ヒトにおいても、活動時間に目や耳から得た情報を整理し、脳を休める時間として睡眠はとても大切なものである。文明が進歩する前に比べると現在は機械化が進み、本来人間が処理しなければならなかった膨大な情報や処理時間はその分減少した。そこで、脳にかかる負担が減ったということは、脳を休める時間も減らせるのではないかという疑問が生まれる。しかし実際、必要とする睡眠時間はそこまで減ってはいない。いくら眠っても脳の疲れがとれないということもある。これは我々の周りの情報が量だけでなく質も複雑化していることも原因だろう。パソコンを例にとると、スクロールは早いが、その画面を目で追う作業は本を読むよりずっと疲れる。近年話題になっている3Dテレビも通常の2Dテレビより視聴後の目の疲れがはるかに多い。X軸Y軸だけではないZ軸の情報も追加されているからである。様々なデバイスの開発で情報を読み取る時間は減少するだろうが、流れ込んでくる膨大な情報を処理するために脳は疲れ果て、脳の休息に必要な睡眠時間は増える一方になるだろう。脳が素早く深く休めるように、レム睡眠からさらに進化した睡眠が必要になる。そうしないと睡眠時間を少なくできない。1日は24時間と決まっている。もしこのまま、睡眠が進化しないで情報量だけが膨大になっていくと、人類は脳を休ませるために人生の大半を睡眠に当てなければならないことになってしまうのではないだろうか? 生物は生きていく中で必要に迫られることで進化をしてきた。私は、まだ多くが解明されていないといわれている私達の脳の進化にも期待をしたい。

<参考文献> (1) 広辞苑 第五版 (2) 井上 昌次郎 著 (2006) 『眠りを科学する』 朝倉書店 (3) 井上 昌次郎 著 (1989) 『脳と睡眠 -人はなぜ眠るか』 共立出版 (4) D. Bushey, K. A Hughes, G. Tononi, C. Cirelli, Sleep, aging, and lifespan in Drosophila. BMC Neuroscience 1471-2202 (2010 Apr 29). (5) J. Allan Hobson 著 (1989) 『Sleep(眠りと夢)』 井上 昌次郎、河野 栄子 訳 東京化学同人

 

 

特別賞: 武田 晃

課題:「マウスでは実施できなくて、メダカしか実施できない生命科学の研究テーマを考案し、その実施計画と期待される成果を論ぜよ。予算的、時間的制限はないものとする。」(動物生殖システム分野 尾田正二准教授)

:  文章力があり論理構成も矛盾がないので、メダカで地震を予知するという「はじけた」着想である割には、堅実で落ち着いた論文となっており、高く評価できる。堅実でしっかりした著者の性格を想像させる。シャケなどの回遊魚にその存在が報告されているマグネトソームがメダカにも存在するかどうかの検証の方法に具体性がない、実際の地震の際の地磁気の乱れは不規則であり再現性が低い、さらに震源との位置関係、地盤の構成によっても一概にパターン化はできないと容易に想像できるが、この点をどのように解釈し解決するか、など細かい点ではさらに熟考を要する部分もある。願わくば、読者に「なるほど、それはおもしろい!」と言わしめるような冒険的要素が加われば、プレスクール論文優秀賞の候補となったであろう。(尾田正二准教授)

(受賞レポート)

タイトル:メダカの行動と地震予測  我々、人間は地震や火山、雷、台風などといった天災に悩まされてきた。特に日本列島は4つのプレートがひしめき合い、世界の他の地域に比べてもとりわけ地震が多い。将来、暮らしていく上で地震は避けては通れない天災である。被る被害は甚大で、首都圏を襲う直下型の地震の場合、日本経済に与える損失や人命の損失は図り知れない。もし地震の到来が事前に予測できれば、被害、とりわけ人命の被害をより小さいものに食い止められるだろう。現在、緊急地震速報として、気象庁が一般人にメディアを通じて予報を流している。原理は、震源に近い数箇所の観測計がP波をキャッチし、過去のデータと合わせて解析し、主要動の到来時刻、震源、マグニチュードを予測するものである。しかし、速報から揺れの到達までが数秒から数十秒と短く、震源が近い場合は発表が強い揺れの到達に間に合わない。また、大規模な地震ほどその予測の精度が落ちる。したがってより精度の高い予測や、もっと早い段階での予測をするためには、全く別の方法を取り入れる必要がある。そこで、私は生物を使った地震予測に着目した。昔から「大地震の前になまずが暴れる」という言い伝えや、「ミミズが地表に現れてかたまりになる」、「コイがはねる」といった異常行動が各国、各種地震で多数報告されており、おおむね地震襲来前の数時間から10日前に見られるといわれている。しかしながら、未だ地震と生物の異常行動の関係が科学的な形で示されてはいない。私は、メダカを使って地震と生物の異常行動の関係を明らかにし、科学的に異常行動をとるメカニズムを解明したいと考えた。  地震発生前に生物が異常行動をとるのには必ず理由があるはずである。生物が何らかの環境中の変化をキャッチし、異常行動を起こしていることは間違いない。したがって地震発生前、環境にどのような変化が生じるのかという点とその変化を生物はどのように受容しているのかという2点を考える必要がある。  地震発生前に起こる環境中の変化が観測されている例として、地下水温や水位の上昇、深部からのガスの上昇、ラドン放出の変化、磁場変化、電磁波放出、地電流発生等が報告されている。私は、その中でも磁場の変化に着目した。地震は地球の表層を覆っているプレートが移動し、ぶつかり合ったりこすれ合ったりしてプレート境界部の岩盤に歪みが蓄積し、その反発力(応力)として地震が発生する。発生直前では、岩盤同士の強い摩擦や、岩盤を形成する鉱物の電荷の分極により強い電場ができ、磁場の変化や電磁波の放出が起こるのではないかと言われている。過去の地震データの中には、震源近くの磁場の強度が発生の数日前に急上昇した例が報告されている。この通常の地磁場とは異なる不規則な磁場の変化を、「異常」としていくつかの生物がとらえているのではないかと考えた。  では、生物はいかにして磁場をキャッチするのだろうか。地磁場と密接に関係にあるのが定位である。地磁場を方位決定に利用している生物は分かっているだけで、魚類や鳥類の動物を含む約50種に上る。磁場を感知する機構は、一般に極性コンパス(polarity compass)と伏角コンパス(inclination compass)の大きく2つに分けられ、動物によっては2つを併用している。極性コンパスは内在性の磁石を利用する方法で、絶対的な方位を決定することが原理的に可能であるといわれている。例えば、磁性細菌ではマグネタイトとよばれる酸化鉄を含む粒子の集合体が棒磁石のような働きをして磁力線の向きを認識し、運動方向を決定している。また、魚類や鳥類では、鼻に存在する感覚細胞にマグネトソームと呼ばれる酸化鉄の結晶を含む細胞内構造を有している。その感覚細胞を阻害すると磁場感知能が妨げられることから、神経を通して磁場のシグナルを脳に伝え、方位決定に関与しているとされる。一方、伏角コンパスは磁力線の傾きを検知し地球上での位置(緯度)情報を得る方法で、ラジカルペア反応と呼ばれる化学的な反応を利用しているとされる。伏角コンパスを担う磁場センサーとして有力視されているのがクリプトクロム(Cryptochrome)である。クリプトクロムは細菌、植物から昆虫、哺乳類にいたるまで幅広く存在し、メダカにも存在する。一般的には概日時計の抑制因子として知られているが、光回復酵素と非常に相同性の高い1次構造をもち、発色団のFADが結合するサイトをもつ。したがって、ショウジョウバエをはじめとする脊椎動物のクリプトクロムは光を受容すると考えられている。このとき、光を受容して生じるラジカルペア(一対の不対電子)の電子スピンは磁場の影響を受けて向きが変化する。その変化の割合を磁場の強さとして検出しているとされており、弱い磁場も感受すると予想される。特徴として、クリプトクロムは光依存的に磁場を受容しており、面白いことに渡り鳥であるヨーロッパコマドリの右目を眼帯で覆うとコンパスの機能がなくなることが報告されている。以上のように、生物の磁場受容はマグネトソームとクリプトクロムが鍵を握っているようだ。この2つにスポットをあてた実験系を組み立て、地震による磁場の変化と生物の関係を検証することを考えた。実験の対象動物にメダカを使うことは有効である。理由は大きく3つある。  1つ目は、地震前における生物の異常行動に関する報告の中で魚類が多いこと。2つ目は、サケをはじめとする回遊魚が磁場を利用して定位を行っていると示唆されていること。つまり、同じ魚類であるメダカも磁場を使って定位を行っている可能性が考えられ、またサイズ的にも扱いやすい。3つ目は、メダカがクリプトクロムとマグネトソームの両方を持ち合わせていると考えられることである。現在、硬骨魚類と軟骨魚類においてマグネトソームを有していることが確認されており、メダカも有している可能性が高い。また、クリプトクロム遺伝子のortholog が、既にメダカを含む多くの生物種においてゲノムデータベースに登録されている。一方、哺乳類はマウスにおける研究からクリプトクロムに光受容能がなく、ゆえにクリプトクロムの磁場感受性がないとされており、検証対象として相応しくない。では、具体的な実験計画に入っていこう。  実験を行うにあたって、磁場の変化をコントロールできるような装置を用意する必要がある。容器で泳ぐメダカに対して様々な磁場の強度、向き、振動をコンピューター制御し、自由にシミュレーションできるような装置を作製する。次にメダカのマグネトソーム及びクリプトクロムと磁場受容の関係を探る基礎研究を行う。まず、メダカのマグネトソームの存在を確認するとともに、ゲノムデータベースに登録されているメダカクリプトクロム遺伝子の配列をもとにクローニングを行う。確認されたらば、これらが磁場受容を行っているかを確かめるため行動学的なアプローチから研究を行う。材料としてwild type、マグネトソームを含む感覚細胞を機能阻害したメダカ、クリプトクロムノックアウトメダカ、両機能を阻害したメダカを用意する。正確に磁場の影響を観察するため、地磁場や機械による磁場の影響を受けない空間で実験を行う。また、匂いや視覚等の他の要因がメダカの行動に影響を与えないように留意しなければならない。厳密な条件化で、作製した装置の下にそれぞれのメダカを入れた容器を設置し、磁場をあてたとき、どのような選好方位を示すのか、或いは示さないのかを解析する。各メダカのデータを比較することで、マグネタイト及びクリプトクロムと磁場受容の関係を確かめる。ただし、クリプトクロムは光依存的に磁場受容を行うことが示唆されているため、明条件と暗条件とでのちがいも検討する。また、先ほど示したコマドリの例のように右目の機能を阻害した上でどのような結果になるのか検討するのもおもしろい。基礎研究でメダカにおける磁気受容のデータを蓄積した上で、地震による磁場変化と異常行動の関係の研究に移る。各メダカを装置にしかけ、通常とは異なる行動を示すような、磁場の強度、向き、磁場振動数を検討する。その上で、検討した磁場条件が地震によって起こりうるかを探る。一方、逆のアプローチからも検証する。地震によって起こりうる磁場変化を過去の巨大地震前の磁場データから予想した上で、それを装置でシュミレーションし、各メダカが異常行動を示すか確かめる。もし異常行動が確かめられれば、大地震による磁場の変化と異常行動ならびにそれに関わる受容器を明らかにすることができる。  しかしながら上に記した実験はあくまでin vitroである。最終的に地震と異常行動を確かめるには、実際に大地震が起こる前にノックアウトメダカがどのような行動を示すかを観察し、装置を使ったシミュレーション実験と比較検討する必要がある。観察する際、磁場の変化が震源の位置と関係があることから、一定間隔にメダカの観察ポイントをしかけ、震源からの距離と異常行動の関係も探る必要があるだろう。もし明らかにされれば、我々の知的好奇心を満たすだけでなく、実際の地震予測に役立つことが期待される。

<参考文献> •気象庁‐緊急地震速報のしくみと予報・警告, http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/EEW/kaisetsu/eew_naiyou.html •動物の地震予報、みんなどうしたの?, いけやもとじ著, パレード •魚の地震予知, 31-62, 小田 淳 著, 叢文社 •地震予知の最新科学, 146-160, 佃 為成 著, Softbank Creative •なぜ電磁波で地震の直前予知ができるのか 124-166 早川正士 •見える光、見えない光, 129-133, 日本比較生理生化学会 編 共立出版 •Nature Japan Neuroscience Abstract 行動神経科学:渡りの方向と光の関係 2005年10月号 •Thorsten Ritz et al, April 2009, Biophysical Journal, VOL 96、3451–3457 •Science News Focus: Seeking Nature’s Inner Compass, November 2007, Science, VOL 318, 904-907 •Michael M. Walker et al, Nature, November 1997, VOL390, 371-376 •Wiltschko W. and Wiltschko R, BioEssay, 2006, VOL28, 157-168

 

 

特別賞: 宮城 絢乃

課題:「昆虫の発育を制御する方法について科学的根拠に基づいて考察し、その方法のメリット、デメリット、及び実用性について議論せよ。」(分子認識化学分野 片岡宏誌教授)

:  課題からは昆虫発育制御法(剤)などへの応用的利用が想定されるが、本論文は昆虫を用いた基礎研究を進めるために「休眠」を利用することを提案したユニークなものである。問題点も含め科学的根拠に基づいた議論や考察が展開されており、論文特別賞に推薦する。(片岡宏誌教授)

(受賞レポート)

 立春を迎える二月頃から三月頃にかけて、庭やプランターの枯葉を掃除していて越冬中の昆虫に出会ったことはあるだろうか。春から秋にかけて至るところで遭遇する昆虫達であるが、彼らは発育に適さない季節を迎える前に休眠状態に入り、昆虫の種類やライフスタイルによって様々な状態で冬を過ごしている。毎年当たり前のように繰り返されている現象だが、休眠は漠然と開始されるものではなく、誘導・準備期間と維持期間があり、終了した後は通常の発育が継続される、綿密に計画された一時的な発育の阻止である(2)。  休眠を利用して発育を制御する手法が一つ、実は私達のごく身近なところで利用されている。養蚕の現場では、温度や照明時間等の飼育条件を調節することで、カイコの発育をコントロールしている。二化性の昆虫であるカイコは、休眠卵・非休眠卵を季節によって生み分けている。前者は産み落とされて間も無く、胚子発生の初期に休眠に入るようにプログラムされているが、後者は休眠という選択肢を持たず、成虫になるまで発育を続ける。高い温度で、日照時間を長くして飼育したカイコは休眠卵を、低い温度で日照時間を短くして飼育した場合は非休眠卵を産む特性を用いて発育が制御されており、冷蔵保存や塩酸溶液処理等の単純な方法で、休眠を中止させて孵化させることが可能である。カイコの卵の休眠には、休眠ホルモンと呼ばれるペプチド分子が必須であると言われている(3)。農家は蚕期に合わせて、このホルモンを非直接的にコントロールして発育を制御していることになる。  カイコの場合、卵自身が環境の悪化を察知して休眠に突入しているわけではなく、実は雌の体内で運命が既に決まっている。休眠ホルモンが雌の食道下神経節から分泌された時のみ卵は休眠性となり、胚子発生初期に発育が一時停止する(3)。一方、環境条件の悪化の結果、やむを得ず、発育を休止するシステムを備えている昆虫も存在する。例えば、年に4~5回発生するヤマトシジミは、気温が低下し、食草であるカタバミが枯れる季節になると、幼虫のまま休眠してしまう。しかし、冬に気温が下がらず食草が不足しないような場合、休眠状態に陥ることなく発育を進める。つまり、昆虫には、休眠という選択肢をもたないもの、あるステージにおいて休眠するように決められているもの、休眠するかしないかを環境の状態によって自ら選択できるものの3種類が存在していると考えられる。  休眠状態に向かうためのきっかけとなる刺激の種類や受容の仕方には様々なものがあり、光周期や、食草が含む成分等が直接の刺激として脳によって受容されると言われている(4)。複数の誘導シグナルを組み合わせて利用している場合もあるだろう。また、体内で、休眠をコントロールしている可能性があるとしてこれまで見つかってきた物質も複数ある。例えば、その1つの幼若ホルモン(JH)は脱皮時に変態するかを決定する因子であるが、様々な昆虫において休眠誘導・維持にも必要であることが分かっている(1)。休眠時特異的に発現するタンパク質も複数見つかっている。その1つがカイコの休眠ホルモンであり、カイコ以外の昆虫からも類似したペプチドが発見された(3)。しかし、JHや休眠ホルモンは、全ての昆虫において休眠を誘導しているわけではない上、ある特定のステージでしか休眠を誘導することができないことから、休眠現象を直接コントロールしている分子である可能性は低い。例え休眠ホルモンの濃度を、直接インジェクション等でコントロールすることでカイコの発育を制御できたとしても、その技術は他の有用昆虫に応用できないということになる。  多様性があり、全く異なる仕組みを利用しているように見える昆虫の休眠であるが、はっきりとした共通点も存在する。まず、発育に不利な環境(酸素不足、食糧不足)を乗り越えることを目的としているため、代謝の低下が大きな特徴である。また、休眠状態に陥らせたファクター(光周期変動等)の種類に関わらず、一度休眠状態に陥ると、想定された不利条件(乾燥か低温等)を経験しない限り休眠解除を行えない。例えば、イナゴ類の非休眠卵は低温にさらされなくても孵化するが、休眠卵は、ある期間にわたって低温に置かれない限り休眠から覚醒しない。乾燥に耐えると言われるネムリユスリカの幼虫も、極度の乾燥を経験し体内の水分が蒸発によりほぼ全て失われる期間を経なければ死に至ってしまう(4)。  こうした共通点がある限り、最終的に起こる細胞の代謝等のコントロールは、全ての昆虫を通して共通である可能性がある。現在存在する昆虫の、祖先となる生物が既に休眠という能力を獲得していたと仮定すれば、現在の昆虫も根本的には同じメカニズムを利用し、生息地域の温度や湿度に合わせて休眠誘導条件を変化させただけとも考えられる。その場合、様々なルートを辿ってやってくる休眠誘導シグナルが、まとまって1つとなる瞬間が存在するのではないだろうか。実は、様々なシグナルの下流で、それらを統合し得る分子として、MAPキナーゼのERKという分子が見つかっている(4)。MAPキナーゼは、真核生物において高度に保存されており、機能が多様で、シグナル伝達機構に普遍的に存在する分子である。休眠誘導条件や覚醒条件が、進化の過程で多様化したとしても、根本的に細胞機能をコントロールしているメカニズムが保存されているという可能性は、このような分子をさらに発見し、シグナル伝達機構を探ることによって明らかにできるのではないか。  昆虫の発育を直接制御している細胞レベルでの現象を明らかにすることができれば、自然界では休眠に陥ることがないステージや、休眠することが知られていない昆虫での休眠を誘導することが可能になる。例えば、アゲハチョウを材料としている研究室では、従来、卵や幼虫が手に入る季節が限られてしまい、気温が設定された部屋で一年を通して飼育を行わない限り実験材料を確保することができない。卵や幼虫で発育を停止させる技術があれば、餌さえ確保することで、一年を通して変わらない状況で実験ができるはずである。しかし、実際の休眠現象は準備段階を伴って起きるものであり、細胞の代謝が落ちるとしても、発育停止中の細胞の維持や、解除後の活動のためには、糖や脂肪等の栄養分を予め蓄積しておくことが大切だと考えられる。発育を直接制御してしまう技術では、そういった準備段階を経ることができないため、どれ程の期間発育を止めておくことが可能かは不明である。

<参考文献> 1) Gilbert, S. F. (2006). Devbio -A companion to developmental biology - Eighth edition http://8e.devbio.com/article.php?id=211 2) Kotál, V. (2006). Eco-physiological phases of insect diapause. J. Insect Physiol. 52, 113 -127 3) 休眠とホルモン –休眠とは- Insect Bio Quest Project: http://www.viva-insecta.com/tuat_acv/archive/kyumin/kyumin.htm 4) 田中誠二, 檜垣守男, 小滝豊美 編著 (2004) 休眠の昆虫学 – 季節適応の謎 –

 

審査委員: 小嶋、河野、山本、米田、鈴木(雅)